1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/05/18(月) 15:49:51.60 ID:???*.net
100億円──多くの人にとっては縁のない数字だ。だが、短期間のうちに「3つの100億円」を経験した男がいる。かつての人気番組『マネーの虎』(日本テレビ系・2001~2004年放送)で敏腕経営者と評された南原竜樹氏(55)。年商100億円の会社を経営し、高級車を乗り回して札束を机の上に並べていた同氏は最も多い時で100億円の借金を抱えて、一転して地獄に落ちた。そこから再び年商100億円に復活。南原氏が仰天のジェットコースター人生を語った。
* * *
この7月の決算では、売り上げが再び100億円に届く見通しで、最盛期だった2004年当時に追いつきました。あの番組で私を観ていた人は知らないと思いますが、私はあの後、カネがなくなり地獄に落ちました。ホームレスになり食べるものにまで困ったほどです。今ようやく“マネーの虎”に戻ることができました。
〈そう語る南原氏が自動車の輸入代理店オートトレーディングルフトジャパンを設立したのは1988年。当時はまだ珍しかった高級欧州車の並行輸入で業績を伸ばし、2001年にはアルファロメオの代理店であったチェッカーモータースを買収。2003年にイギリスの老舗自動車メーカー、ロータス、MGローバー(以下ローバー)の輸入権も獲得し、年商は100億円を超えた。
当時、南原氏は起業を目指す若者らが著名な経営者に事業計画をプレゼンし、出資を募る人気テレビ番組『マネーの虎』に出演。「楽しようとするな」など応募者に厳しい発言を繰り返す南原氏は“冷酷な虎”の呼び名で、一躍有名になったが……。〉
私の人生は、番組終了から約1年後の2005年4月にローバーが経営破綻したことで一変しました。ローバーの工場はもぬけの殻と化し、再建は不可能でした。輸入代理店である弊社は大量の在庫を抱えていましたが、アフターフォローもなくなることから新車としての価値はなくなり大幅な減損処理を余儀なくされました。
私はそれまでピーク時で100億円もの借金を背負っていました。会社経営に借金はつきものであり、返済をしながら事業を拡大していくわけですが、それは主たる事業が稼働していることが前提です。経営の柱だったローバーを失った時点で、会社には30億円の借金が残りました。私の頭には「倒産」「自己破産」の言葉が浮かびました。
しかし、倒産は会社の歴史を捨てると同時に、多くの人に迷惑をかけることになります。私は借金を返し、会社を再建する道を模索しました。それには、規模を小さくしてゼロからやり直すしかありませんでした。全社員263人を解雇する日、最後の挨拶をした時には涙が溢れました。事業もカネも失いましたが、人を失うことの辛さは何と表現していいか未だにわかりません。
誰もいなくなったオフィスで“敗戦処理”を始めました。目が眩むような借金でしたが、まずは預金をすべて返済に充て、各地にあったショールームを売却するなど資産を処分し毎月約1億円ずつ返済しました。田園調布にあったショールームは6億円で売れ、返済のスピードを速めてくれるとともに我が社の命をつなぎ止めてくれました。在庫の車も新車の半分以下の値しかつきませんでしたが、少しずつ売却して返済に充てました。
http://news.livedoor.com/article/detail/10123967/
2015年5月18日 11時0分
http://news.livedoor.com/article/image_detail/10123967/?img_id=8414164
ジェットコースター人生を告白する南原竜樹氏
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この7月の決算では、売り上げが再び100億円に届く見通しで、最盛期だった2004年当時に追いつきました。あの番組で私を観ていた人は知らないと思いますが、私はあの後、カネがなくなり地獄に落ちました。ホームレスになり食べるものにまで困ったほどです。今ようやく“マネーの虎”に戻ることができました。
〈そう語る南原氏が自動車の輸入代理店オートトレーディングルフトジャパンを設立したのは1988年。当時はまだ珍しかった高級欧州車の並行輸入で業績を伸ばし、2001年にはアルファロメオの代理店であったチェッカーモータースを買収。2003年にイギリスの老舗自動車メーカー、ロータス、MGローバー(以下ローバー)の輸入権も獲得し、年商は100億円を超えた。
当時、南原氏は起業を目指す若者らが著名な経営者に事業計画をプレゼンし、出資を募る人気テレビ番組『マネーの虎』に出演。「楽しようとするな」など応募者に厳しい発言を繰り返す南原氏は“冷酷な虎”の呼び名で、一躍有名になったが……。〉
私の人生は、番組終了から約1年後の2005年4月にローバーが経営破綻したことで一変しました。ローバーの工場はもぬけの殻と化し、再建は不可能でした。輸入代理店である弊社は大量の在庫を抱えていましたが、アフターフォローもなくなることから新車としての価値はなくなり大幅な減損処理を余儀なくされました。
私はそれまでピーク時で100億円もの借金を背負っていました。会社経営に借金はつきものであり、返済をしながら事業を拡大していくわけですが、それは主たる事業が稼働していることが前提です。経営の柱だったローバーを失った時点で、会社には30億円の借金が残りました。私の頭には「倒産」「自己破産」の言葉が浮かびました。
しかし、倒産は会社の歴史を捨てると同時に、多くの人に迷惑をかけることになります。私は借金を返し、会社を再建する道を模索しました。それには、規模を小さくしてゼロからやり直すしかありませんでした。全社員263人を解雇する日、最後の挨拶をした時には涙が溢れました。事業もカネも失いましたが、人を失うことの辛さは何と表現していいか未だにわかりません。
誰もいなくなったオフィスで“敗戦処理”を始めました。目が眩むような借金でしたが、まずは預金をすべて返済に充て、各地にあったショールームを売却するなど資産を処分し毎月約1億円ずつ返済しました。田園調布にあったショールームは6億円で売れ、返済のスピードを速めてくれるとともに我が社の命をつなぎ止めてくれました。在庫の車も新車の半分以下の値しかつきませんでしたが、少しずつ売却して返済に充てました。
http://news.livedoor.com/article/detail/10123967/
2015年5月18日 11時0分
http://news.livedoor.com/article/image_detail/10123967/?img_id=8414164
ジェットコースター人生を告白する南原竜樹氏