1: 田杉山脈 ★ 2019/04/25(木) 09:33:39.21 ID:CAP_USER
「平成」時代の日本経済はどのように推移し、またどのような特質を有していたのだろうか。経済実態や政策に焦点を当てた場合、平成から私たちは何を学び、何を考えるべきなのか。 平成という時代を通じて筆者は、比較的長い間、経済政策に関わる仕事に携わった。不思議な縁というほかないが、それによって、さまざまな局面を内側から見聞きしてきたことも事実である。そこで経験し、考えたことを近著『平成の教訓』から赤裸々に示しながら、自省も交えて平成の経済社会を振り返ってみたい。 日本が陥った「CRICサイクル」 小泉純一郎総理が行い、私も大臣として中心にいた平成の小泉改革の後、改革のモメンタムは一気に落ち込んだ。改善がある程度進んだことによる安心や慢心、改革飽きや改革疲れ、政治的な反発や反動など、さまざまな要因があるだろう。とりわけ改革によって利益を失い、不満を募らせていた既得権益者たちが、改革者の退場を機に、一気に改革の問題点をあげつらったことが大きい。
エコノミストのロバート・フェルドマン氏は、日本政府の典型的な行動パターンを分析して「CRIC(クリック)サイクル」と呼んでいる。
問題が大きくなって危機(Crisis)が来ると、大慌てで応急処置(Response)をする。それによって状況がやや改善(Improvement)すると、すぐに安心(Complacency)してしまう。日本という国は、つねにこのサイクルの繰り返しだ、というのである。Complacencyは、怠慢、自己満足、慢心と訳してもよいだろう。
起こったことは、実際CRICサイクルに沿っていた。経済がよくなったにもかかわらず、改革を止める動きはしだいに顕在化していった。
小泉内閣より後では、当時の改革を主導していった経済財政諮問会議の存在感も低下した。最大の理由は、ガチンコで民間議員ペーパーをぶつけるのではなく、前もって根回しを始めたことだ。穏やかなペーパーに基づいて話すから、侃侃諤諤の議論は姿を消し、予定調和的な官僚主導の会議になっていく(現在でもそう見える)。そこにリーマンショックと3・11が襲い、日本に「もっとも失われた5年」が到来したわけである。
日本ではこの間、毎年、内閣総理大臣が交代した。長期政権と経済の改善は、ほとんどコインの両面だ。政権が安定すれば、それなりの安定した政策を打ち出すことができ、経済がよくなる。経済がよくなれば、長期政権になる。
平成でもっとも失われた時代は、まったく逆だった。短期政権で経済パフォーマンスが悪くなる。だから首相のクビをすげ替える。すると政策が連続も徹底もできず、ますます経済が悪くなる。経済が悪くなれば、短期政権になる。リーマンショックのあと自民党から民主党へと政権交代が実現しても、同じことが続いた。
諦めた自民党、無茶苦茶な民主党 小泉内閣は財政再建を軌道に乗せるため、「骨太2006」(経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006)で長期的な財政健全化の仕組みを打ち出した。これを第1次安倍晋三内閣も、続く福田康夫内閣も引き継いだ。最大の問題は、リーマンショックが起こったとき、これを麻生太郎内閣が放棄してしまったことである。
もちろん世界的な金融危機だから、政府は巨額の財政拡大をしなければならない。ただし、それはあくまでも臨時の支出として扱い、ショックの傷はいつか癒えるはずだから、そのとき臨時の支出を終えて骨太2006に戻るべきだ。日本政府はこのシナリオを立てなければならない――そう私は考えていた。
麻生首相にも「これは一時的な話だから、埋蔵金を使って一時的に支出し、骨太2006はそのまま置いておくべきだ」と進言したが、聞き入れられなかった。この流れで改革の勢いは失われ、そのまま民主党政権に至ってしまう。自民党は、ある時点ですっかり諦めたように思われた。
長年与党の地位にある自民党は、どうしても思い切った改革ができない。だから私も、民主党政権が誕生したとき、やっぱり少しは期待をかけていた。民主党は昔の社会党とは違う。基本的な考え方は保守だが、小選挙区制と世襲に阻まれて自民党から選挙に出られず民主党から出たという人も、少なからずいた。彼らが力を持てば、改革する保守になってくれるかもしれない、と思ったのだ。 以下ソース https://toyokeizai.net/articles/-/277198?page=2
エコノミストのロバート・フェルドマン氏は、日本政府の典型的な行動パターンを分析して「CRIC(クリック)サイクル」と呼んでいる。
問題が大きくなって危機(Crisis)が来ると、大慌てで応急処置(Response)をする。それによって状況がやや改善(Improvement)すると、すぐに安心(Complacency)してしまう。日本という国は、つねにこのサイクルの繰り返しだ、というのである。Complacencyは、怠慢、自己満足、慢心と訳してもよいだろう。
起こったことは、実際CRICサイクルに沿っていた。経済がよくなったにもかかわらず、改革を止める動きはしだいに顕在化していった。
小泉内閣より後では、当時の改革を主導していった経済財政諮問会議の存在感も低下した。最大の理由は、ガチンコで民間議員ペーパーをぶつけるのではなく、前もって根回しを始めたことだ。穏やかなペーパーに基づいて話すから、侃侃諤諤の議論は姿を消し、予定調和的な官僚主導の会議になっていく(現在でもそう見える)。そこにリーマンショックと3・11が襲い、日本に「もっとも失われた5年」が到来したわけである。
日本ではこの間、毎年、内閣総理大臣が交代した。長期政権と経済の改善は、ほとんどコインの両面だ。政権が安定すれば、それなりの安定した政策を打ち出すことができ、経済がよくなる。経済がよくなれば、長期政権になる。
平成でもっとも失われた時代は、まったく逆だった。短期政権で経済パフォーマンスが悪くなる。だから首相のクビをすげ替える。すると政策が連続も徹底もできず、ますます経済が悪くなる。経済が悪くなれば、短期政権になる。リーマンショックのあと自民党から民主党へと政権交代が実現しても、同じことが続いた。
諦めた自民党、無茶苦茶な民主党 小泉内閣は財政再建を軌道に乗せるため、「骨太2006」(経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006)で長期的な財政健全化の仕組みを打ち出した。これを第1次安倍晋三内閣も、続く福田康夫内閣も引き継いだ。最大の問題は、リーマンショックが起こったとき、これを麻生太郎内閣が放棄してしまったことである。
もちろん世界的な金融危機だから、政府は巨額の財政拡大をしなければならない。ただし、それはあくまでも臨時の支出として扱い、ショックの傷はいつか癒えるはずだから、そのとき臨時の支出を終えて骨太2006に戻るべきだ。日本政府はこのシナリオを立てなければならない――そう私は考えていた。
麻生首相にも「これは一時的な話だから、埋蔵金を使って一時的に支出し、骨太2006はそのまま置いておくべきだ」と進言したが、聞き入れられなかった。この流れで改革の勢いは失われ、そのまま民主党政権に至ってしまう。自民党は、ある時点ですっかり諦めたように思われた。
長年与党の地位にある自民党は、どうしても思い切った改革ができない。だから私も、民主党政権が誕生したとき、やっぱり少しは期待をかけていた。民主党は昔の社会党とは違う。基本的な考え方は保守だが、小選挙区制と世襲に阻まれて自民党から選挙に出られず民主党から出たという人も、少なからずいた。彼らが力を持てば、改革する保守になってくれるかもしれない、と思ったのだ。 以下ソース https://toyokeizai.net/articles/-/277198?page=2