1:ちくわぶ ★ 2015/04/06(月) 10:22:45.57 ID:???*.net
2012年の日本の相対的貧困率は16.1%と過去最悪を更新した。相対的貧困率とは、国民の所得分布の中央値の半分(2012年は122万円)未満である状態を示す。相対的貧困率には所有する資産は考慮されていないが、誤解を恐れずに単純化すると日本人の6人に1人が貧困状態にあるということだ。今年1月時点の生活保護受給者も217万人と過去最多に上る。
「貧困は自己責任」「本人の努力が足りない」――。
貧困世帯には時として厳しい批判が飛ぶ。だが本当にそうなのか。病気、ケガ、介護、転職、失業……誰にでも起こりうる事態をきっかけに、人々は「安定」からいとも簡単に滑り落ちていくのだ。
■年収1200万円の生活が一転
「まさかこんなことになるなんて……」
50代の男性はそう嘆く。彼はかつて誰もがうらやむエリートビジネスマンだった。外資系IT企業を渡り歩いてキャリアアップ。ピーク時の年収は1200万円に上り、充実した生活を送っていた。ところが、現在の年収は約300万円と4分の1に。一時は生活保護の申請に足を運ぶなど、生活に困窮していた。彼の身に一体何が起こったのか。
最初のきっかけは病気だった。2005年頃に大手通信会社系企業に転職。その後、スマートフォンの新商品発売に向けた連日の激務がたたり、脳の病気で倒れた。3カ月で復帰すると、今度は職場でパワーハラスメントを受けた。「いつ倒れるかもわからない人に年収1000万円ものコストをかけたくないから、早くやめさせたかったんじゃないか」と男性は振り返る。
図表=ヨーロッパ諸国の生活保護行政は、手厚い
さらに不幸は重なる。しばらくして今後は母親が心臓の病気で倒れた。都内のマンションから東京郊外にある実家に戻り、看護をしながら通勤する生活に。通勤時間は片道2時間半。終電に間に合わず、週の半分はサウナに寝泊まりしていたという。それでも親の看護と仕事の両立は簡単ではない。自分が倒れたときに有給休暇を使い切っており、欠勤扱いになる日が増加。2011年末に会社を解雇されてしまった。
解雇と同じくして母親は他界。さらに父親にも肺がんが見つかり、母の死から数カ月後になくなった。精神的にはどん底だったが、それでも働かなければ生活できない。実家暮らしで家賃負担はなかったが、希望の仕事を見つけるのは難しい。コンビニのバイトを始めた。生活保護の申請にも行ったが、持ち家と数十万円ほどの貯金があるから認められないと担当者はにべにもなかった。
その後、家を300万円で売却。友人たちの誘いなどもあり、貯金を元手に都心に戻ってきた。現在はITの知識を生かしてフリーのコンサルタントとして生計を立てている。だが病気などで働けなくなったらどうなるのか、老後はどうするのかを考えると不安は募る。
(続きは下記より)
東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/65370
「貧困は自己責任」「本人の努力が足りない」――。
貧困世帯には時として厳しい批判が飛ぶ。だが本当にそうなのか。病気、ケガ、介護、転職、失業……誰にでも起こりうる事態をきっかけに、人々は「安定」からいとも簡単に滑り落ちていくのだ。
■年収1200万円の生活が一転
「まさかこんなことになるなんて……」
50代の男性はそう嘆く。彼はかつて誰もがうらやむエリートビジネスマンだった。外資系IT企業を渡り歩いてキャリアアップ。ピーク時の年収は1200万円に上り、充実した生活を送っていた。ところが、現在の年収は約300万円と4分の1に。一時は生活保護の申請に足を運ぶなど、生活に困窮していた。彼の身に一体何が起こったのか。
最初のきっかけは病気だった。2005年頃に大手通信会社系企業に転職。その後、スマートフォンの新商品発売に向けた連日の激務がたたり、脳の病気で倒れた。3カ月で復帰すると、今度は職場でパワーハラスメントを受けた。「いつ倒れるかもわからない人に年収1000万円ものコストをかけたくないから、早くやめさせたかったんじゃないか」と男性は振り返る。
図表=ヨーロッパ諸国の生活保護行政は、手厚い
さらに不幸は重なる。しばらくして今後は母親が心臓の病気で倒れた。都内のマンションから東京郊外にある実家に戻り、看護をしながら通勤する生活に。通勤時間は片道2時間半。終電に間に合わず、週の半分はサウナに寝泊まりしていたという。それでも親の看護と仕事の両立は簡単ではない。自分が倒れたときに有給休暇を使い切っており、欠勤扱いになる日が増加。2011年末に会社を解雇されてしまった。
解雇と同じくして母親は他界。さらに父親にも肺がんが見つかり、母の死から数カ月後になくなった。精神的にはどん底だったが、それでも働かなければ生活できない。実家暮らしで家賃負担はなかったが、希望の仕事を見つけるのは難しい。コンビニのバイトを始めた。生活保護の申請にも行ったが、持ち家と数十万円ほどの貯金があるから認められないと担当者はにべにもなかった。
その後、家を300万円で売却。友人たちの誘いなどもあり、貯金を元手に都心に戻ってきた。現在はITの知識を生かしてフリーのコンサルタントとして生計を立てている。だが病気などで働けなくなったらどうなるのか、老後はどうするのかを考えると不安は募る。
(続きは下記より)
東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/65370